『私、ちょいとカワイイ裏番長』はスマイレージ12枚目のシングル『寒いね。』のカップリング曲。
ライブでの盛り上がりを想定した曲であり、事実、瞬発力のあるナンバーとなっている。
今回はこの曲を中心に、ハロプロ、つんく歌詞における「宇宙」について考える。
いつものように個人の解釈ですよ。
ライナーノーツ
CWは「私、ちょいとカワイイ裏番長」
ライブのテーマ曲のイメージで作り上げました。
なのでツアーでも大活躍!すごく盛り上がる曲です。
今後も良い場面で登場すると思います。大事にしてくださいね!
http://ameblo.jp/tsunku-blog/entry-11397287684.html
つんく歌詞には頻繁に「宇宙」や「世界」という単語が出てきます。
これが聞く人によっては”説教臭い”と思ったり、”なんだかよくわからない”となり、イコール”ハロプロよくわからない”となる遠因となっています。
例えば、道重体制の最初のシングル『OneTwoThree』にもこんな歌詞が登場します
Ah この星には
ねぇ どれくらいの
Mm 恋人達 いるのでしょう
さぁ 手をつないで 宇宙の彼方へ
これは恋人といるときに感じる多幸感を表したものかも知れないし、恋人たちに秘められた可能性を表しているかもしれません。
二番の同じ箇所では「この夢にはどれくらいの可能性があるというのか」ということを歌っています。
つまり距離感を表すための単語として宇宙を使っているのですね。
一人では到達できない宇宙の未知なる部分にも、ふたりでならばたどり着けるかも知れないという、果てしない目標を指す単位としての「宇宙」。
同じく「世界」という言葉。
WOW WOW
10パーセントの焼きもちは
愛の裏返し
世界を変えてよ
Oh Love Me Love Me Love Me
Love Me Love Me Do!
この場合の世界とは、主人公を取り巻く環境であり、つまり「私をこの日常から新しい世界に連れてって」という意味に取ることができますね。
ここで、”世界って大げさな”と思うかもしれませんが、案外そうではないかもしれません。
思春期の少女の物語を書くとき、彼女と世界との関わりをどう描くかが重要になってきます。
宮崎アニメはほとんどがそうで、例えば「魔女の宅急便」では、おそらくは初潮を迎えたキキが魔法を使えなくなり、アイデンティティの喪失を経験します。そしていままで点でしか関わることのなかった人間たちと交流することで、魔法を取り戻し、距離を置いていた友人を救うために、衆目の中その力を使います。
「天空の城ラピュタ」では、囚われの姫でしかなかったシータが、自分のために危険を冒してくれる友人と出会うことで、自ら滅びの呪文を使うことを決意します。銃によっておさげの髪が断髪されるシーンに、初潮の暗喩が見られます。
90年代のサブカルチャーを絡めた社会批評で使われる言葉に「セカイ系」という言葉がありましたが、これは、一個人の生き方がそのまま世界の行く末と直結するという物語を評する言葉です。その物語の多くが思春期の若者たちを題材にしています。
少女が心と体の変化を迎えることで、世界と自己との関わりについて自分の中で消化する。
そのとき、やはり彼女らは「世界」を、「宇宙」を考えます。
抗うことのできない自分の変化と、信用できなくなった世界。そこから逃避するために、「白馬の王子」や「メルヘン」が必要となります。
人は彼女のことを”でんぱ”と呼ぶかもしれません。しかし彼女にとっては、自分の一大事が、世界の一大事なのです。
しかしこういった乙女の心理的危機のようなものは、飽食の時代であり、かつ死と隣合せでない環境だからこそクローズアップされるのかもしれません。この国には様々に整備された環境があるので、多くの少女たちはいつの間にか大人になり、それなりに人生を歩んでいくことになります。
では、アイドルはどうでしょうか。
アイドルは、私生活が制限され、心体のバイオリズムに関係なくスケジュールが組まれます。周りのしっかりとしたサポートがなければ、すぐに破綻してしまうのが、少女アイドルという職業です。
恋愛を禁じられたアイドル達は、どこに救いを求めるのか。だれが、世界を変えてくれるのか。
和田彩花はひとつの答えを見つけました。
私、ちょいとカワイイ裏番長
そんじょそこらの 女じゃないわ
私の愛を軽く見るな
100年くらいじゃ びくともしない
宇宙規模の愛の距離感
ここにも「宇宙」が出てきます。
「宇宙規模の愛の距離感」とは一体どんな距離感でしょうか。これもまた、尺度としての宇宙なのでしょうか。
「距離感」とあるので、そうかもしれません。
しかしもう少し掘り下げられそうですね。これとよく似た物語があります。
天帝は、悟空を斬妖台にひきだして八つ裂きの刑にするが、悟空は仙丹の力で無敵の体となっていたので刀も斧も歯が立たず、火も効果がなかった。太上老君の八卦炉に押し込めて熔かそうとするも、いぶされて目が真っ赤になって「火眼金睛」となったのみで、八卦炉から飛び出す[21]と大暴れして手が付けられない。悟空が怖ろしくなった天帝は、雷音寺の釈迦如来に助けを求めることになる。如来は悟空に身の程をわきまえさせるために賭けを持ちかけ、如来の手のひらから飛び出せなかった悟空を取り押さえて、五行山[22]に封印してしまった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/孫悟空
これは「西遊記」の有名なシーンを要約した記述です。
悟空が釈迦の手を飛び出し、世界の果てまで行ったと思い込み、そこに立っていた5本の柱に名前を書いて釈迦の元へもどったところ、釈迦の指には悟空の名前が書いてあった。
これが「宇宙規模の距離感」ですね。
つまり、揺るがない愛のことなんです。
「宇宙」とは、時間と空間を表す言葉です。『私、ちょいとカワイイ裏番長』のこの一節は、時間も空間も超えた、真実の愛のことを歌っています。真実の愛っていうのは、善悪さえも超えたところにある愛です。もしかすると、因果すら逆転する愛。
『時空を超え 宇宙を超え』(モーニング娘。'14)という曲がありますが、あれも真実の恋人を待つ物語ですね。
釈迦如来と同じ愛を持ってるならば、それを「軽く見るな!」というのが本音の本音ですよね。釈迦はそんなこと言わないですけど。
アイドルという職業を生きる和田彩花が、美術史の線上で、永遠の愛を凝縮したイコンである仏像に出会ったというのは、ある意味必然だったのかもしれません。
このシングルは
まだ会えない誰かを過去からずっと待っている人の歌。
運命なんて言葉があり、赤い糸なのか、縁なのか、
人は出会うべくして出会うというのだからいつかきっと出会う。
そんな気持ちで待っている人の歌です。
まだ産まれてもいない女の子がいつか産まれてくる未来の恋人の出現を待っている。
いつか母になるだろう少女がいつか出会うべく赤ん坊を待っている。
これは少年だって同じ。独身者だっていつか出会うべき家族や子供を待っている。
今も愛し合っている恋人が一生の伴侶であると確信する時を待っている。
仕事上で運命を共にする人を待っている。
モーニング娘。'14のメンバーが新メンバーを待っている。
いろんな出会いを想像しながら曲を仕上げました。
大きな未来は「きっとこんな風になってるんだろうなぁ」
「こんな生活が送れたらなぁ」なんて思うだろうけど、
だからそのために「明日すべき事が明確に分かっているか」
となるとほとんどの人が「何をすれば幸せに近づく!?」って思うわけです。
途中主語がHeになりますが、これもHeでもSheでもItでも正解なのかもしれません。
いろんな場面を想像しながらメンバーも歌ってくれるとこの曲のスケール感がさらに出てくれますね。
http://ameblo.jp/tsunku-blog/entry-11810962759.html
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