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穂花の壮絶なWikipedia



境遇ニキの本気

穂花の壮絶なWikipedia

穂花さんといえば「アリケンしゃべり場」の進行役ということ以外は、痴女もので人気だったらしいという薄い情報しか知らないんですが、なんかWikipediaがすごい。








生い立ちからAV引退までの過程が詳細に書かれているんだが、引退以降の活動はフィルモグラフィを形式的に書いてあるだけで、最近どうだといったことが何も書いていないのがまた……





ちなみにカツーンと噂になったりした割と世界でも人気な小澤マリアさんの場合





この熱量の違い。





この辺が非常に……


2003年、仕事に慣れ、新しい恋人もできた穂花は、「それまでの人生で一番、年相応で一般的な幸せを感じる」生活を送っていた[40]。そんなある日、独立したばかりの芸能事務所の社長を名乗る男からスカウトされた[41]。穂花は警戒しつつも歌手志望であることを告げ、歌を録音したテープを送ったが、「CDデビューは無理」と告げられた[42]。これによってスカウトの話は保留となったが、芸能界デビューをあきらめきれなかった穂花はしばらくして自ら事務所に連絡を取り、歌手以外でのデビューを相談した[43]。穂花によるとこの時水着やグラビアでのデビューを打診され、そのことに同意したところ、事務所側は「契約成立」と告げた後、AVでのデビューを打診したという[44]。穂花はAVの話は断ろうとしたが、なし崩しにヌードグラビアの撮影が行われ、さらにデビューするメーカーが決まったと告げられた[45]。


AVデビューに際し、最低3本に出演して300万円を稼げばCDを自主製作するという話があったが、レコード会社の担当者から肉体関係を求められ拒絶したところ話は立ち消えとなった[50]。


紆余曲折経て、穂花は「AV女優・穂花」のままでは終われないという心境に至り、トップ女優を目指すことを決意[52]。2007年、日本アダルト放送大賞女優大賞を受賞した。この時、「私のAV人生はやっと終った」という喜びを感じたという[53]。



年表
・2005年、2006年連続で雑誌、「ビデオボーイ」でナイスボディ賞を受賞
・2007年3月15日に日本アダルト放送大賞2007年度女優大賞受賞。
・2008年12月、AVやグラビアから年内で引退することを発表。
・2010年1月、自叙伝『籠』を出稿。誘拐、性的虐待、AV出演のいきさつ、DVなど自身のこれまでの壮絶な半生を振り返る内容に大きな反響を呼んでいる。




その衝撃的な自伝や本人の発言をまとめたのだろうけど、相当な労力。

二十歳すぎて事務所と契約する女性は、振りかかるリスクが非常に大きいなと改めて実感。
未成年の場合でも過激なイメージビデオしか仕事がなかったりとか、危険ですけども。未成年の場合は保護者の承諾というクッションがありますが一応。
枕を迫った音楽レーベルはどこなんですかねぇ……

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[ 2013/10/05 15:39 ] アイドル | TB(0) | CM(0)
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