アイドル黙示録 中二ブログ

16ビートとともにあれ

アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編



特設サイトもアップフロントが用意という
ここ最近のシングル特設サイトのノウハウが生きている。













 そして佐賀県スーパー探訪第二弾は菓子パン編なんですが、こちらもゆるキャラで……



アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編



 いまや熊本の顔のみならず日本の顔としても羽ばたきつつあるくまモン。
 これを逃す法はないと、福岡のパンメーカー・リョーユーパンが商品化。
 んで、わが佐賀県代表に選出されたゆるキャラはというと……




アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編



 おう、ひこニャンの偽物こと唐ワン選出とかやめーや……



アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編


アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編



 佐賀からではなく唐津市から選出というとこは素直に喜びたい。








きぐるみの頭身こえーよ!!!




アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編


 そして、リョーユーパン支配下にある九州地区の中学生にとってキングオブ・菓子パンとおもわれる”マンハッタン”も発見。これはクッキー状に硬く焼き上げられたパンにチョコレートをかけた、本州でいうところの「ローズネットクッキー/山崎パン」にチョコレートをかけたようなものだと思っていただければいいです。これを食わない中学生は素人とまで言われております。
 ちなみにクイーンオブ菓子パンはチーズデンマークという、もうカロリーの化け物やんけという、マヨネーズとチーズの中間みたいなやつがどっさりかかったパン。


で、そのリョーユーパンってなんなんですか、一体? ということですが──






1951年(昭和26年)5月 - 佐賀県唐津市でグループの母体である「唐津糧友製パン」が発足。
1961年(昭和36年)1月 - 福岡工場の前身、糧友製パン株式会社設立。
1977年(昭和52年)8月 - 現在まで使われているシンボルキャラクター「リョーちゃん」誕生。
1979年(昭和54年)11月 - 熊本県の製パン業・二葉製パンと同社の子会社のフタバベーカリーを吸収合併。
1980年(昭和55年)6月 - 現在の拠点である福岡工場が完成。
1994年(平成6年)4月 - グループ5社(唐津糧友製パン・福岡糧友・糧友佐賀・糧友製パン・糧友山口)合併に伴い、糧友製パン(福岡)を存続会社として「株式会社リョーユーパン」が発足。



 あ! やっぱ唐津の企業だったんすね!
 小学校の時パン工場の見学に行きましたもの。


 で、このリョーユーパン、いまはどうかしらないけど、唐津の人間にとってトラウマでもあります。  だってめちゃくちゃまずいもの!!
 九州の人間で「パンが嫌い」という人間がいたら、その半数はリョーユーパンの被害者だ。

 それでもリョーユーパンは唐津の人間にとって圧倒的知名度を誇る。その原因は──






コイツ。片目のコックこと”リョーちゃん”である。
 まず、唐津出身で25歳以上の人間が、最初に覚えたであろう企業マスコット。
 いまほど企業はマスコットに力を入れてなく、アンパンマンは紙芝居や絵本でしか見るものではなく、もちろんゆるキャラなんかはみうらじゅんによる民俗学的発見がなければ無視されていた時代、このコックの絵と”リョーユーパン”のフォントが九州の子どもたちの脳に与えた心理的影響は大きい。
パンはまずい。だが、パンといえばリョーユーパンというブランディングには成功してしまった。
 そして現在、九州を支配下に置き、中国地方、四国地方へ進出するに至る。



アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編


 今回、写真を撮るのを忘れてしまったが、閉店してしまった小さなスーパーの裏面一面にこのキャラクターが描かれており、ボロボロに風化している様を見たとき、「ああ。リョーユーパンは我々の原風景だったんだ」としみじみ思った。



 広告業界も無視してはいられない影響の大きさ。



 もうこいつメインで商品作れや!!!



アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編

 もちろんくってみた。相変わらずまずかった。





■その他


アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編

アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編



 なんなんでしょうか、このジブリ感!


ナチュレル/トランス脂肪酸篇







ここも元々は佐賀県発祥とか。






1986年愛少女ポリアンナ物語で、初のキャラクターデザイナー[1]に抜擢される。その後、スタジオジブリに移籍するが、そのきっかけになったのは、1988年公開の高畑勲監督の火垂るの墓の作画監督に決まった近藤喜文の推薦により、宮崎駿監督のとなりのトトロの作画監督に抜擢されたことによる。その後、スタジオジブリで数作、原画、作画監督として参加した後、日本アニメーションに戻る。再び世界名作劇場若草物語 ナンとジョー先生[2]、ロミオの青い空[3]のキャラクターデザインを手がけるが、1997年世界名作劇場シリーズの終了に伴い、フリーランスとなる。ウオルトディズニージャパンなどを経て、2001年、株式会社タイトーのゲームソフト「ガラクタ名作劇場 ラクガキ王国」のアートディレクターに招聘され、同作品のCM映像も手がけている。[4]

2009年3月までゲームメーカータイトーに在籍していた。その後、BSでハウス食品世界名作劇場シリーズとして復活したことによる、こんにちはアン[5]参加のため、古巣日本アニメーションに戻り、2012年現在も同社に所属している。そのほか、企画・制作の釘宮陽一郎と、科学館向け劇場映画、CMなどのコンテンツ制作を組んで行っている。[6]とくに、九州地区限定のフランソアのTVCMシリーズは、2012年現在20作を越える長期シリーズとなっていて、佐藤の代表作となっている[7]。




 ジブリと日本アニメーションとか生粋ですわ。んで、トラウマコンテンツにかかわりすぎィ!!
 私が九州を離れている間にこんなCMが流れてたんだな。



アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編


わただプリンとかいう謎スウィーツ。唐津市和多田の人気菓子店の商品ということ以外不明。クソ高いので買わなかった。けど地元商店と協力して地場産業を盛り上げるまいづるグループ有能。



アップフロントがくまモンのMVを公開 佐賀県スーパー探訪その②:パン編


 はい、最後にギョロッケを見てもらいましょう。いまはミンチコロッケっつーネーミングで打っているんですね。これは魚のすり身を揚げたもの、つまり鹿児島でいうさつま揚げみたいなものなんだけど、パン粉の衣に包まれている。魚のコロッケ。



 唐津市もけっして財政がよいわけではなく、商店街はシャッターだし、子供のころ通った商店がつぶれたりして危機的状況というか、点滴で生きながらえているような状態なんだけども、そこにある文化を見直すことで再スタートというか、再起動が可能なはずなんだけど、、、ということを考えたりした。
 今回アイスやパンを珍しがって写真を取ってたんだけど、地元に住む弟には理解不能といった感じで見られてましたよ、ハイ。離れてなきゃ気付かんよなぁ、おもしろさに。


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[ 2013/09/25 15:56 ] SaGaスレ | TB(0) | CM(0)
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