アイドル黙示録 中二ブログ

16ビートとともにあれ

吉本ファイナンス漫談



なんか美談みたくなってっけどwwwwwwwwww





 吉本新喜劇の“大黒柱”で副座長の大山英雄(38)は心底、東京が大好きになった。「ルミネtheよしもと」のオープンに合わせて01年に大阪の新喜劇から移籍。関西人特有?のコンプレックスもあったが完全になくなったという。

(略)

 移籍の際は強烈な落とし穴が待ち受けていた。社員から大山に「ルミネでやってほしい。とにかく東京に住んで」と依頼が来た。残留を希望する大山は引っ越し代がかかると難色を示したが、社員は「なんぼいるねん。100万円?用意したるわ」と即決。吉本入りして初の厚遇に東京行きを決意した。

 100万円が振り込まれると大山は吉本本社に呼ばれた。社員が書類を差し出し「ここにサインして、後はここにハンコ。それと月に5万円ずつ引くから」。書類には吉本関連の金融会社「吉本ファイナンス」と書いてあった。大山は「コレなんや、詐欺や」と思ったが時すでに遅し。お願いされた東京行きなのに金利まで払い続けた。

 「大阪の新喜劇も出してくれるという約束やったんですけど30日間で29日はルミネに出てた。これで“どうやって大阪に帰るねん”ですわ。その社員も“そんなん言うたかなあ”って(笑い)」

 今ではルミネに欠かせない万年副座長。「ボクは家臣タイプなんで誰とでもできる。吉本一のバイプレーヤー。これからも誰かを支え続けます」。新喜劇のようなダマされ方で東京に来たのも運命。100万円へのわだかまりはもうない。

[ 2009年05月14日 20:17]











商号・名称/株式会社吉本ファイナンス
代表者/戸家 正晴
本店(主たる営業所)/大阪府大阪市中央区難波千日前11番6号 吉本興業株式会社本館2階









 6年前、自身で発掘した吉本所属の歌手・FAYRAYのライブを訪れた大崎社長(当時専務)は、会場にいる一人の女の子を指して「あれは五代目の娘や。歌手になりたいと言ってると、(中田)カウスさんから頼まれた。ウチでレッスン受けさして、CDを1~2枚出したら満足するやろ」と語ったという。結局、デビュー計画は頓挫したが、吉本側が担当社員をつけて歌唱レッスンまでさせていたようだ。

 過去のこととはいえ、業界トップの芸能事務所の重役が暴力団に恩を売るため、組長の娘を自社で売り出そうとしていたというのは、社会的責任を問われかねない。これがもし事実であれば、この当時から中田カウス(62)を通じて大崎社長も暴力団とズブズブだったと思われても仕方ないだろう。さらに、先日の「紳助復帰容認」発言が暴力団との友好関係を気にしてのものだという見方も出てくる。










興行師として
1968年1月11日、当時の山口組組長・田岡一雄と組んでレコード会社を乗っ取ろうとした容疑で兵庫県警に逮捕されている。

芸能プロモーターとしての評価
タレントや芸人の扱い、会社経営の全般を取り仕切り、興行師としての職務なども上手く、関西はもとより日本の芸能界・お笑い界に対して多大な影響力や同時に関西の政財界にも大きな人脈を持っていた事で知られている。また、創業者の吉本吉兵衛の死去後は、その未亡人で正之助の姉でもある吉本せいのもとで、社長・会長に就任する以前から正之助が吉本興業の経営権を事実上握っていたともいわれる。

エピソード
大正テレビ寄席打ち切りの一件と、自身の山口組との黒い交際で永六輔から非難された。なお現在で言うところの「暴力団周辺者」であることは公然の事実である。



興行はそういう世界だからしようがないわねぇ、大阪だしねぇ



杉村昌治(故人、先々代九重親方、元横綱千代の山、1977年死去)、竹澤勝昭(先代九重親方、先代陣幕親方、元横綱北の富士)、林正之助(故人、元吉本興業名誉会長)はともに山口組暴力団組員だった。
吉本興業は山口組に加入、九重部屋も九重組として山口組に加入していたが、1981年に山口組(暴力団)を脱退。
1981年故・田岡一雄(元山口組組長)の葬儀で出棺の際、林正之助(故人、元吉本興業名誉会長)と竹澤勝昭が棺を担ぎ、骨上げでも2人が田岡の骨を拾ったことが警察庁と公安当局に把握されている。
竹澤勝昭(先代陣幕親方、元北の富士)が篠田建市元受刑者(現山口組6代目組長)から支援を受け八百長相撲にも関与したと相撲関係者(故人)に暴露された。竹澤は1998年日本相撲協会から退職勧告を突きつけられ退職、協会を追われた。現在は日本放送協会嘱託職員として大相撲中継専属解説を担当。
あるジャーナリストに「九重部屋(相撲協会)と吉本興業は同じヤクザ組織から這い上がった団体」と揶揄された。
大崎洋吉本興業社長は梶山進受刑者(元暴力団幹部)に依頼して街宣車の中傷をやめさせた。その韓国系反社会的勢力団体の街宣車は日本相撲協会、吉本興業、在京放送局の建物施設の周辺を徘徊して秋元貢(元横綱千代の富士、九重親方)、松本人志、濱田雅功の3人を中傷していたという。




<戦後、田岡一雄が三代目を襲名した後の昭和23年ごろ、神戸での(吉本興業による)興行に田岡が文句をつけ、紛議をかもしたことがあった。このとき田岡の方から京都花月へ林正之助を訪れたことから、林も迎合的に接近するようになった。
 神戸芸能のショーやプロレス興行に対して林は積極的援助を続けてきた。その例として、大阪中央体育館でのプロレス興行に、田岡と同席して観覧したり、昭和40年2月の亡妻の葬儀に田岡が参列し、その後、田岡の入院先である尼崎の労災病院へ林がしばしば見舞うなどのことが挙げられる。
 また田岡フミ子名義で吉本興業の株4080株を持たせるなど、両名の関係はきわめて深いものがある>

(略)

 芸能の世界では、ある意味で相撲のタニマチと同じような支援者が存在するわけで、そのタニマチが興行に携わる、今言われる“反社会的勢力”であった歴史的事実は消すことができないし、当時は必然性があったのだ。

http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/?mode=m&no=582



芸の世界にはやくざだけではなく、政治や宗教も絡んできますから、
全部紐解こうと思うとめんどくさいというか、そもそも実態がないクラウドな世界なので。
「芸人、創価学会多いで、な。おれの若いころからそやもん」「うん、多い多い」
ということで、パズルのピースをどれだけ集められるか、それしかないね。

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