ネタバレするンゴ・・・
というか、ネタバレ避けるためになる早で見に行きたいけど、混んでると嫌だなと思って、この時期になりました
新築TOHOシネマ池袋で観劇
グランシネマ池袋のアイマックスでもいいかなと思いつつ、客席かなり埋まっているのでTOHOで
休日の貴重な時間を使うので、午前中に終わらしたい!
ということで9:30、でっかいスクリーンで観たりましたわ
上映時間155分なので、絶対トイレ行きたなるやん!おもって直前にトイレ行ったおかげか、尿意に邪魔されずに鑑賞できましたよ
我々世代の陰キャにとって、エヴァは呪いだからな、それを晴らしに行こうって寸法よ…
そんな、シンエバンゲリヨン、”これまでのエバンゲリオン”という、
ダイジェストで始まるんですが、まとめ方がうますぎて、
三作、これでええやん!ってなるな
序:レイ編、破:ハーレム編、Q:BL編って感じ
序の、ゲンドウ台詞「でなければ帰れ」で、爆笑な
このザコシ動画がスッと出てきて吹くっていう・・・
この調子で、本編も笑い満載なんだろうなって。。。
感想としては、、、、
なるほど、わかった!
↓
いや、わからん……
↓
わかった!
↓
わからん。。。
↓
は? わからん
↓
わからんけど、ええやんええやん!
これも青春や!
っていう、つんくイズムでさわやかな気分になったわ
なんか、やっぱエヴァンゲリヨン好きだったよ、って
いうて、序も、破も、Qも、1回ずつしか観てないけどな
ここからネタバレ込みで書いてくけど、、、
これ、前に岡田斗司夫が言うてた、因果地平エンドやんけ!
裏宇宙っていうことになってるけどもさ
ゲンドウとシンジの親子喧嘩シーンはいきなりPS2のポリゴンばりの安っぽい格闘シーンになってたけど、あのチープな感じ、セブンとメトロン星人のやりとりっぽいなって
いうたら、エヴァってのは、日本三大オタクの一人である庵野監督による、いままでの映画・特撮・アニメ・マンガたちのコラージュ作品でもあるからさ、今回も艦隊戦はヤマト作戦って言うし、あらたな弐号機モードがスリーナインって言うしな
エヴァンゲリオン自体が巨神兵=ウルトラマンなので、ええよ、さっさと完結させて、シンウルトラマン撮ろうぜ!そっちのが観たいし、という気持ちなんですよ、こっちは
そんな、とっ散らかった素材を、なんとかまとめた結果、なんとかなったというかね、多分いろんなネガティブな意見も噴出するけど、私自身は、あ、好きー、この時代に、この年齢で、この物語を作ってもらえて、好きーってなりました
Q公開当時とかはさ、なんやねん、まーたこれ鬱シンジにもどってるやん!ってなったけど、今回の前半の鬱シンジに関しては、正論をぶつけてくるアスカに「そんなん言うたんなよ、まだ14やぞ!」ってかばいつつ、でもこのままだとなあ、、、ってモヤモヤしながら観てたけど、綾波萌えを演出しつつ、その綾波萌えがちゃんとシンジが社会と向き合う導線になったとこで、泣いてしまうっていうね
あれはねえ、シンジが自分を許した演出なんやけど、見ている自分自身が、過去の自分を許してあげられたっていう感情移入が予想以上にできて、泣いてしまうね
TV版でも、自身の呪いを機械的に受け入れつつ、でも碇くんのこと、好き、守りたい
ってなってたレイⅢ
ここにきて綾波株が急上昇しそうな萌えっぷりを見せつけてくれましたよ
そんな感じで、最後、シンジが自分の意志でエヴァ―に乗る決意を持つまでの導線がいいんですよ
マリだけがチートキャラすぎるけど、陽キャのマリが、最初ゲンドウの彼女ポジだったけど、過去にとらわれるゲンドウより、未来を切り開くシンジの方がええわつって、すべてに許しを与え終わったシンジと共に生きることを選んだのが、うまく説明できないけど、落ち着くとこに落ち着いたなって
アスカにとって加持さんの代役がケンスケって言うのもね、納得できますね
自分には特別な力はないけれど、科学を信じて世界の謎を解き明かそうとする姿勢ね
TV版19話で最強の使徒が攻めてくるときにスイカに水やりしてた加持さんの役割を、中学時代にキャンプ飯ごちそうしてくれたケンスケがやるっていう
ケンスケは参号機パイロットになりたかったんよ
だけど、TV版ではトウジになったんよ
加持さんはシンジに「オレはここで水をやることしかできないけれど、君は君にしかできないことをやれ」って言うんよね
村には、決められたノルマのある仕事が一定数あって、みんな必死で今日をしのごうとしている
でもシンジは、シンジにしかできない、世界を救う力があるんだって、それを口には出さずに、シンジに寄り添いながら世界の現状を淡々と語るケンスケがね、やっぱ加持さんイズムやなって
その、望むと望まざるとに関わらず一般の人間とは別のレイヤーに属してしまった人間に対して寄り添うことのできる、しかし最後は孤独に死んでいくよ感を背負った人間がケンスケなんよ
それとは別の生き方をするトウジもね、ええんよね
やっぱ家族を持ってるしね、ケンスケとは違って、シンジにはこの村で一緒に生きてほしいって願ってるんよね
その対比もいいんよね
どっちがいいとか、より友達とか、そんなんじゃなくてね
多分、妹への手紙に「碇のこと、責めんとってくれ」とか書いてたんじゃないかな
あと、カヲルとレイなんやけども、、、、
あれは、この新劇場版にあたって、どういう解釈をつけるべきかって、制作陣でも悩んだとこだと思うんよ
レイはユイの身代わりという事は分かった、で、カヲルはなんやねん
今回も、出てきたら出てきたで、ピアノをパーン!って弾いたり、なんかわかった風なことを言うたり、キザやな!って
でも、物語も収束していくと、あ、これって原罪を取り除いた、ゲンドウがなりたいと願ったゲンドウとユイの形なんだなって
無邪気なカヲルと無垢なレイというね、ゲンドウって、本当はカヲルみたいに、さわやかにユイを愛したかったんやなって、そういう風に思えて、なんか、よかったですね
実際のゲンドウは、かなり卑屈に生きてきたので、ユイに許されるばかりで、自分の力でユイを愛せなかったという後悔を持って生きてきたし、ユイもゲンドウにはあなたのままでいいということをわからせたかったし、それを見せつけられる冬月先生よ
年いってくると、冬月だけは真人間であれ!っていう、癒しを求めてしまうな
冬月は原付に乗って帰れ
終劇